出かけない土曜日=780号
現役教員の頃は目覚まし時計を使わなくても、3時前後には目覚めていました。退職して5年も経つと体内時計はダメになるようで、今は目覚ましをセットし、通常は4時半から5時に起きています。いわば、主夫タイムです。
土・日曜日は目覚まし不要で、今朝はそれでも6時頃に目が覚めてしまいました。6時半頃にはかなり明るくなるので、「ああ春が近づいているのだ!」とうれしくなります。雨戸を開けながら、「庭の花たちも、春になったらきれいな花を咲かせようと、それぞれ準備しているのだろうなあ」と考えます。
夕方の場合も、5時を過ぎても明るいので、やはりうれしくなりますね。
1月には土曜日が4回あり、今日は第4土曜日です。カレンダーを見たら、「出掛けないで済むのは今日だけだった」ということが分かりました。気分的にはノンビリと出来ますが、月曜日締め切りのしごとがあるので、それをこの土・日でやらなくてはなりません。それが終れば、その後にまたまた別の課題が待ち受けています。とにかく、1つ1つ目の前に立ちはだかる課題を処理していかないと、ボクには「春」が来てくれません。早く来い来い、春よ来い!
昨日は地区社協の研修会で、横浜地裁に行ってきました。その準備から当日まで、ボク1人で担当してきましたので、無事に終わり、ホッとしています。参加者は意外と少なめで、ボクを含め15人。まあこれくらいがちょうどいい人数なのですが、なにせおばさん10人、おじさん5人という構成ですから、気を遣います(ほとんどがボクより年上)。
11時から早めのランチを食べ、それから弁護士会館へ行き、担当弁護士からのレクチャーを受け、午後の法廷(刑事事件)を傍聴。第1回の公判で判決まで出すというスピード審理でしたが、これが参加者には大好評でした。おばさんたちに喜ばれ、大いに感謝されたので、よかったかなと思っています。
土・日曜日は目覚まし不要で、今朝はそれでも6時頃に目が覚めてしまいました。6時半頃にはかなり明るくなるので、「ああ春が近づいているのだ!」とうれしくなります。雨戸を開けながら、「庭の花たちも、春になったらきれいな花を咲かせようと、それぞれ準備しているのだろうなあ」と考えます。
夕方の場合も、5時を過ぎても明るいので、やはりうれしくなりますね。
1月には土曜日が4回あり、今日は第4土曜日です。カレンダーを見たら、「出掛けないで済むのは今日だけだった」ということが分かりました。気分的にはノンビリと出来ますが、月曜日締め切りのしごとがあるので、それをこの土・日でやらなくてはなりません。それが終れば、その後にまたまた別の課題が待ち受けています。とにかく、1つ1つ目の前に立ちはだかる課題を処理していかないと、ボクには「春」が来てくれません。早く来い来い、春よ来い!
昨日は地区社協の研修会で、横浜地裁に行ってきました。その準備から当日まで、ボク1人で担当してきましたので、無事に終わり、ホッとしています。参加者は意外と少なめで、ボクを含め15人。まあこれくらいがちょうどいい人数なのですが、なにせおばさん10人、おじさん5人という構成ですから、気を遣います(ほとんどがボクより年上)。
11時から早めのランチを食べ、それから弁護士会館へ行き、担当弁護士からのレクチャーを受け、午後の法廷(刑事事件)を傍聴。第1回の公判で判決まで出すというスピード審理でしたが、これが参加者には大好評でした。おばさんたちに喜ばれ、大いに感謝されたので、よかったかなと思っています。
忘れ物=779号
昨日は、2週間ぶりにフジダナ村へ行きました。ところがです。出がけにバタバタした関係から、なんとコートを置き忘れて自宅を出てしまいました。すぐに気づいたのですが、バスの時間もあり、それに乗り損なうとロスタイムが大きいので、断念しました。未明に雪が降るという寒さのなか、コートも着ないで…。トホホ。
コートを着るのを忘れるという珍事は、これで2回目。ちょうど1週間前の月曜日にも、同じことをしてしまいました。この時は、前日まで沖縄に行っていたので、“沖縄ボケ”かと思っていましたが、2回目となると、これは本物のボケかも知れません。ちょっとヤバイです。
自宅周辺と横浜を比べると、横浜ではあまり雪が降らなかったようで、助かりました。なにせ、フジダナ村は丘の上にあり、そこに行くまでには必ず坂を上らなくてはならないのです。幸い大雪に遭遇したことはありませんが、その場合、上りはよくても、下りで滑って転んで…となるでしょう。「行きはよい、よい、帰りは恐い」というところなのです。
2週間もフジダナ村に行かないと、街の風景が微妙に変わっていることがあります。今までもここで何度か紹介しましたが、老舗が「閉店」となっている場合もありました。今回の発見は、駅とフジダナ村の中間地点に、「コンビニ」がオープンするみたいで、店の内装工事が行われていました。
そこから50メートル先、さらには150メートルほど手前にもコンビニがあるので、「果たして大丈夫なの?」と心配です。そもそも、ここには元々、コンビニがありました。それが撤退して、ドーナツ屋になったり、お菓子屋になったりしました。当初から「潰れるのは時間の問題」と思っていたら、その通りとなり、昨秋以来、シャッターが下りていました。そこに、またまたコンビニの再来ということになったのです。
今度のコンビニは大丈夫かしら?
コートを着るのを忘れるという珍事は、これで2回目。ちょうど1週間前の月曜日にも、同じことをしてしまいました。この時は、前日まで沖縄に行っていたので、“沖縄ボケ”かと思っていましたが、2回目となると、これは本物のボケかも知れません。ちょっとヤバイです。
自宅周辺と横浜を比べると、横浜ではあまり雪が降らなかったようで、助かりました。なにせ、フジダナ村は丘の上にあり、そこに行くまでには必ず坂を上らなくてはならないのです。幸い大雪に遭遇したことはありませんが、その場合、上りはよくても、下りで滑って転んで…となるでしょう。「行きはよい、よい、帰りは恐い」というところなのです。
2週間もフジダナ村に行かないと、街の風景が微妙に変わっていることがあります。今までもここで何度か紹介しましたが、老舗が「閉店」となっている場合もありました。今回の発見は、駅とフジダナ村の中間地点に、「コンビニ」がオープンするみたいで、店の内装工事が行われていました。
そこから50メートル先、さらには150メートルほど手前にもコンビニがあるので、「果たして大丈夫なの?」と心配です。そもそも、ここには元々、コンビニがありました。それが撤退して、ドーナツ屋になったり、お菓子屋になったりしました。当初から「潰れるのは時間の問題」と思っていたら、その通りとなり、昨秋以来、シャッターが下りていました。そこに、またまたコンビニの再来ということになったのです。
今度のコンビニは大丈夫かしら?
ある一教員の死=778号
これは前号の末尾に書こうと思って、忘れてしまったこと。だから、書き忘れたことから書き始めます。22日の「毎・朝」(毎日・朝日)の朝刊にある訃報欄に、「村田栄一」という名前を見つけました。「21日、心不全のため死去、76歳」とありました。
この名前を言っても、今の教員にはわからないと思いますが、ボクにとっては忘れられない先輩教員の1人です。ただし直接、講演などを聞いたことはなかった気がします。確か、地元の横浜国大を出て、川崎の小学校教員をしていました。どこでその名前を最初に知ったかは定かではありませんが、新任教員時代に『無援の前線』という書名だったかな、そんな本を買い求め、読みました。
もう1つは、村田さんが「ガリバー」という学級通信を出していたことに随分と触発されました。何度かこのブログでも書いたことがありますが、ボクはクラス担任になると、必ずといってよいほど「学級(HR)通信」を出すように心がけてきました。途中で挫折し、出せなくなったことや、「学年通信」の担当になり、「HR通信」の方は断念した時も何度もありました。
いずれにしても、ボクが「通信」を出すことにこだわるようになったのは、「ガリバー」の影響が多分にあったと考えています。単行本となった「ガリバー」は、十数年前かな、村田さんを敬愛しているという教員に上げてしまったので、ボクの手元にはありません。ガリ版刷りの「学級通信」をそのまま縮小コピーし、単行本となったものです。
76歳という年齢は、まだまだ若い方ではありませんか。大田さんを追ったドキュメンタリー映画「かすかな光へ」を見て、その後大田さんのお話を聞いた、その日に村田栄一さんが亡くなられたという点でも、「1.21」は忘れられない日となりました。
この名前を言っても、今の教員にはわからないと思いますが、ボクにとっては忘れられない先輩教員の1人です。ただし直接、講演などを聞いたことはなかった気がします。確か、地元の横浜国大を出て、川崎の小学校教員をしていました。どこでその名前を最初に知ったかは定かではありませんが、新任教員時代に『無援の前線』という書名だったかな、そんな本を買い求め、読みました。
もう1つは、村田さんが「ガリバー」という学級通信を出していたことに随分と触発されました。何度かこのブログでも書いたことがありますが、ボクはクラス担任になると、必ずといってよいほど「学級(HR)通信」を出すように心がけてきました。途中で挫折し、出せなくなったことや、「学年通信」の担当になり、「HR通信」の方は断念した時も何度もありました。
いずれにしても、ボクが「通信」を出すことにこだわるようになったのは、「ガリバー」の影響が多分にあったと考えています。単行本となった「ガリバー」は、十数年前かな、村田さんを敬愛しているという教員に上げてしまったので、ボクの手元にはありません。ガリ版刷りの「学級通信」をそのまま縮小コピーし、単行本となったものです。
76歳という年齢は、まだまだ若い方ではありませんか。大田さんを追ったドキュメンタリー映画「かすかな光へ」を見て、その後大田さんのお話を聞いた、その日に村田栄一さんが亡くなられたという点でも、「1.21」は忘れられない日となりました。
「かすかな光」を求めて=777号
教育学者・大田堯さんのドキュメンタリー映画「かすかな光へ」を見にいきました。映画のあと、30分ほどの講演がありました。大田さんは3月生まれだそうで、まもなく94歳とのこと。でもとてもお元気に見えました。
かれこれ、20年以上前になるでしょうか。地域で、そして勤務していた高校で大田さんをお招きし、お話を聞いたことがありました。S高校での講演会は、高校2年生を対象にした進路講演会として行いました。考えてみれば、随分贅沢な講演会だったと思います。
この2回の講演会ではいずれも、ボクがお迎えとお見送りの担当でした。地域での講演会の際には、小田急のロマンスカーの切符を手配し、最寄りの町田駅までお迎えに行きました。
今回は、その時以来およそ20年ぶりに、大田さんのお話を聞いた(昨年7月にも一度聞いた)のですが、改めてその深い教育観・人間観に圧倒されました。大田さんはこの映画を「自伝でもないし、教育映画でもない」と言われました。むしろ、「反教育映画だ」と。つまり、今までの教育観を180度変えた考え方が示されているからです。
大田さんは一貫して、「教化主義」を批判してきました。ボクも「教え込み」や「注入」には反対で、共育・共生、さらには共創を掲げ、実践を重ねてきたつもりです。1981年に定時制を去るとき、ボクは離任式で「教育は共育」ということを生徒に向かい、話していますから、約30年になると思います。強制ではなく共生、競争でなくて共創というフレーズはその後大分経ってから、掲げるようになりました。
大田さんはその著作の中などで、「日本の民主主義は未成熟だ」と言われていますが、ボクも「その通り」だと思います。講演の中で、大田さんは昨秋、韓国へ赴き、ソウル大学などで戦前の植民地政策などに関し、謝罪の講演を行ってきたことを明かしてくれました。本当は北の方にも…と考えていたそうですが、それは当面果たせないので、せめて南においてだけでも!と決意し、高齢にもかかわらず行かれました。驚きました。
大田さんは戦前の教育の誤りを語りつつ、目下忍び寄っている教育の危機に対して警鐘を鳴らしました。ちっぽけなボクには、何ができるかわかりませんが、身のまわりから、やれることを1つ1つやっていこうと思っています。そのためにも、本や人、さらにはモノなどからもっと謙虚に学ばねば…。しなやかなマインドで…。
本号は777号。ウルトラセブンだ。2月中には800号に到達しそうです。頑張ります!
かれこれ、20年以上前になるでしょうか。地域で、そして勤務していた高校で大田さんをお招きし、お話を聞いたことがありました。S高校での講演会は、高校2年生を対象にした進路講演会として行いました。考えてみれば、随分贅沢な講演会だったと思います。
この2回の講演会ではいずれも、ボクがお迎えとお見送りの担当でした。地域での講演会の際には、小田急のロマンスカーの切符を手配し、最寄りの町田駅までお迎えに行きました。
今回は、その時以来およそ20年ぶりに、大田さんのお話を聞いた(昨年7月にも一度聞いた)のですが、改めてその深い教育観・人間観に圧倒されました。大田さんはこの映画を「自伝でもないし、教育映画でもない」と言われました。むしろ、「反教育映画だ」と。つまり、今までの教育観を180度変えた考え方が示されているからです。
大田さんは一貫して、「教化主義」を批判してきました。ボクも「教え込み」や「注入」には反対で、共育・共生、さらには共創を掲げ、実践を重ねてきたつもりです。1981年に定時制を去るとき、ボクは離任式で「教育は共育」ということを生徒に向かい、話していますから、約30年になると思います。強制ではなく共生、競争でなくて共創というフレーズはその後大分経ってから、掲げるようになりました。
大田さんはその著作の中などで、「日本の民主主義は未成熟だ」と言われていますが、ボクも「その通り」だと思います。講演の中で、大田さんは昨秋、韓国へ赴き、ソウル大学などで戦前の植民地政策などに関し、謝罪の講演を行ってきたことを明かしてくれました。本当は北の方にも…と考えていたそうですが、それは当面果たせないので、せめて南においてだけでも!と決意し、高齢にもかかわらず行かれました。驚きました。
大田さんは戦前の教育の誤りを語りつつ、目下忍び寄っている教育の危機に対して警鐘を鳴らしました。ちっぽけなボクには、何ができるかわかりませんが、身のまわりから、やれることを1つ1つやっていこうと思っています。そのためにも、本や人、さらにはモノなどからもっと謙虚に学ばねば…。しなやかなマインドで…。
本号は777号。ウルトラセブンだ。2月中には800号に到達しそうです。頑張ります!
雪とスズメちゃんたち=776号
初雪です。今まで乾燥しきった地域にはまさに「めぐみの雪(ホントは雨というべきかもしれないが)」となっていますが、内心、複雑な思い。というのは、明日、大事なイベントが渋谷で映画上映&講演会があるので、それに影響しないかということ。ですから、明日はゼッタイに晴れてほしいのです。晴れ男のボクですが、明日はうーん…。
庭にスズメちゃんたちがたくさん、集まっていました。そして、餌を探していました。ほとんど庭には餌がないはずですが、それでも…。寒いなか、スズメちゃんたちは生きるために餌を探しているのです。台所を見たら、昨夜の米粒が小さなカップに入れてあったので、それらを庭に撒いてあげました。
すると、すぐにたくさんのスズメちゃんたちが集まってきました。数えてみましたが、10数羽ぐらいはいそうです。よかった、よかった。スズメちゃんたちに喜んでもらえそうです。その姿を見ながら、「スズメちゃんたちって、風邪ひかないのかなあ?」なんて心配してしまいました。
あっと言う間に、ボクが撒いた米粒はなくなってしまいました。雪が降り始めたなかでも、黙々とつつき、1粒も残さず、きれいに食べてくれました。みごとなものです。お腹がいっぱいになったでしょうか? 風邪なんかひかないで、頑張ってね!
最近、このスズメちゃんたちの巣が、お隣の家にあることがわかりました。具体的にどこか?というと、我が家の庭に隣接する庭木のなかにありました。ここなら、雨宿りもできますから、ちょうどいいですね。
明日は大寒だそうです。道理で寒いはずですね。
庭にスズメちゃんたちがたくさん、集まっていました。そして、餌を探していました。ほとんど庭には餌がないはずですが、それでも…。寒いなか、スズメちゃんたちは生きるために餌を探しているのです。台所を見たら、昨夜の米粒が小さなカップに入れてあったので、それらを庭に撒いてあげました。
すると、すぐにたくさんのスズメちゃんたちが集まってきました。数えてみましたが、10数羽ぐらいはいそうです。よかった、よかった。スズメちゃんたちに喜んでもらえそうです。その姿を見ながら、「スズメちゃんたちって、風邪ひかないのかなあ?」なんて心配してしまいました。
あっと言う間に、ボクが撒いた米粒はなくなってしまいました。雪が降り始めたなかでも、黙々とつつき、1粒も残さず、きれいに食べてくれました。みごとなものです。お腹がいっぱいになったでしょうか? 風邪なんかひかないで、頑張ってね!
最近、このスズメちゃんたちの巣が、お隣の家にあることがわかりました。具体的にどこか?というと、我が家の庭に隣接する庭木のなかにありました。ここなら、雨宿りもできますから、ちょうどいいですね。
明日は大寒だそうです。道理で寒いはずですね。
身辺整理=775号
正月早々から、身辺整理をし始めました。ボクにとっては宝物でも、家族を含めた他人にとっては、それらすべては「ゴミ」に過ぎないのですから。正月、急に思い立ち、作業を始めたせいか、1日、丸々寝込んでしまいました。早朝、ゴミのほん(本)の一部を集積場に運ぶため、5往復ほどしたからと思われます。軟弱なんですよ。
ポリゴミの日には、ビデオテープを50本ほど処分しました。これは結構重たくなり、運ぶのが大変でした。1つのボックスはカラになりましたが、まだ奥の方にテープがあるので、それらを掘り出し、処分したいと考えています。
沖縄関係の本は、沖縄にある古本屋さんに進呈するつもりです。教育関係の本は教育会館に寄贈するつもりですが、果たして受け入れてもらえるかわかりません。60~70年代の教育本および月刊誌などは、およそ20年前、段ボール箱に3~4箱、送ったことがありました。その時は、歩いて100メートルくらいのところにコンビニがあったのですが、突然閉店となり、今そこは歯科医院となっています。これぞまさしく、しか(歯科)たがない!という訳です。
その後、しごとがたて込み、身辺整理は全く進んでいません。今月一杯は何かと行事もたて込み、しごとも目白押しというか、海老名押し(?)なので、それらが済んでからとなりそうです。本の整理は、その後、不燃ゴミの集積場まで運ぶのが辛いところです。重たいから辛いのです。といっても、集積場まで50メートル余。贅沢を言ってはいけませんが、階段の上り下りがあるので…。
ポリゴミの日には、ビデオテープを50本ほど処分しました。これは結構重たくなり、運ぶのが大変でした。1つのボックスはカラになりましたが、まだ奥の方にテープがあるので、それらを掘り出し、処分したいと考えています。
沖縄関係の本は、沖縄にある古本屋さんに進呈するつもりです。教育関係の本は教育会館に寄贈するつもりですが、果たして受け入れてもらえるかわかりません。60~70年代の教育本および月刊誌などは、およそ20年前、段ボール箱に3~4箱、送ったことがありました。その時は、歩いて100メートルくらいのところにコンビニがあったのですが、突然閉店となり、今そこは歯科医院となっています。これぞまさしく、しか(歯科)たがない!という訳です。
その後、しごとがたて込み、身辺整理は全く進んでいません。今月一杯は何かと行事もたて込み、しごとも目白押しというか、海老名押し(?)なので、それらが済んでからとなりそうです。本の整理は、その後、不燃ゴミの集積場まで運ぶのが辛いところです。重たいから辛いのです。といっても、集積場まで50メートル余。贅沢を言ってはいけませんが、階段の上り下りがあるので…。
1晩だけのお米危機=774号
ちょうど1週間、ご無沙汰してしまいました。「1週間のご無沙汰でした」というフレーズは、かつての歌謡番組(「ロッテ歌のアルバム」)で司会の玉置宏さんが使っていましたね。実にハードボイルドだったこの間の事情については、次回以降のブログで報告したいと思っています。「これはヤバイかも?」と思った瞬間もありましたが、かろうじて「元気」ではあります。でも、これからの日程など考えると、ため息が出そうです。
昨晩、夕飯の準備をしようと思ったら、米櫃にお米がありません。取り出してみたら、1合にも満たないのです。あわてて、近所の店に走って買いに行ったのですが、シャッターが下りています。8時閉店の店ですので、ぎりぎり間に合うと思ったら、アウトでした。「万事休す!」と思ったところ、ちょっと離れたところにあるお弁当屋さんが開いていました。そこで巻物やいなり寿司などを購入し、なんとか凌ぎました。「あいててよかった、弁当屋!」です。
このようなことは「主夫」を始めて以来、初めてのこと。大失態です。午後から外出し、夕方、おかず類を買ったにもかかわらず、お米のことはみごとに失念していたのです。
お米が底をついたのは、昨年末、ある施設に家にあった15キロものお米をカンパしたことが1つの遠因でした。それでも近く、お米が届くことがわかっていたので、それで賄えると思っていました。ところが、ボクの思惑を知らない妻が知人に、届いたばかりのお米を上げてしまったのです。これが誤算でした。
午前中、待望(耐乏)のお米5キロが届きましたので、今晩はこれで大丈夫です。ヤレヤレです。事故防止研修を実施し、再発防止に努めねばなりません(笑)。
昨晩、夕飯の準備をしようと思ったら、米櫃にお米がありません。取り出してみたら、1合にも満たないのです。あわてて、近所の店に走って買いに行ったのですが、シャッターが下りています。8時閉店の店ですので、ぎりぎり間に合うと思ったら、アウトでした。「万事休す!」と思ったところ、ちょっと離れたところにあるお弁当屋さんが開いていました。そこで巻物やいなり寿司などを購入し、なんとか凌ぎました。「あいててよかった、弁当屋!」です。
このようなことは「主夫」を始めて以来、初めてのこと。大失態です。午後から外出し、夕方、おかず類を買ったにもかかわらず、お米のことはみごとに失念していたのです。
お米が底をついたのは、昨年末、ある施設に家にあった15キロものお米をカンパしたことが1つの遠因でした。それでも近く、お米が届くことがわかっていたので、それで賄えると思っていました。ところが、ボクの思惑を知らない妻が知人に、届いたばかりのお米を上げてしまったのです。これが誤算でした。
午前中、待望(耐乏)のお米5キロが届きましたので、今晩はこれで大丈夫です。ヤレヤレです。事故防止研修を実施し、再発防止に努めねばなりません(笑)。
ドタバタの3日間=773号
7日はボクが所属する某研究会。2012年の「学びはじめ」です。年末に仕上げるつもりの原稿が年越しとなり、その前日の6日になってシコシコと…。相変わらずの「ドロナワ」さんでした。
7日は昭和が終わった日(1989年)ですが、息子の幼馴染が「自死」した命日でもあります。朝、息子にそのことを言ったら、期日を間違えていたことがわかり、その年のボクの手帳を示し、納得。その事実を知った日と実際に亡くなった日とが混乱していたようです。午後から、妻がそのお宅に花を持って行きました。
社会人として初めて正月を迎え、仕事が始まってわずかしかたたない1月7日、その幼馴染は「自死」を遂げました。「なぜ?」「どうして?」と疑問は、今もあります。悔しかったことと思います。本人はもちろんですが、両親もよく知っているだけに…。7日は七草でもありますが、1人の若者の命日であることは、生涯、忘れてはならないと自身に言い聞かせています。
8日は1日、外出。汚れる作業もあったので、これはけっこう、疲れました。でもそれほど寒くなかったからよかったものの、そうでなかったら、最悪の事態に陥っていたことでしょう。なんとか無事に終わり、しかも2日間の予定が1日で完了できたのが何よりでした。作業をしながら、考えさせられることが数多くありました。人生とは…。
9日は午後から、PCによる仕事はじめ。これも年末にやるはずだった課題でしたが、それにようやく取りかかりました。すべてスケジュールは大幅遅れです。やはり、4日から1日半、寝込んでいたことが響きました。年賀状の返事も一部は、まだ出していません。年賀状をくださった方々、ごめんね!
7日は昭和が終わった日(1989年)ですが、息子の幼馴染が「自死」した命日でもあります。朝、息子にそのことを言ったら、期日を間違えていたことがわかり、その年のボクの手帳を示し、納得。その事実を知った日と実際に亡くなった日とが混乱していたようです。午後から、妻がそのお宅に花を持って行きました。
社会人として初めて正月を迎え、仕事が始まってわずかしかたたない1月7日、その幼馴染は「自死」を遂げました。「なぜ?」「どうして?」と疑問は、今もあります。悔しかったことと思います。本人はもちろんですが、両親もよく知っているだけに…。7日は七草でもありますが、1人の若者の命日であることは、生涯、忘れてはならないと自身に言い聞かせています。
8日は1日、外出。汚れる作業もあったので、これはけっこう、疲れました。でもそれほど寒くなかったからよかったものの、そうでなかったら、最悪の事態に陥っていたことでしょう。なんとか無事に終わり、しかも2日間の予定が1日で完了できたのが何よりでした。作業をしながら、考えさせられることが数多くありました。人生とは…。
9日は午後から、PCによる仕事はじめ。これも年末にやるはずだった課題でしたが、それにようやく取りかかりました。すべてスケジュールは大幅遅れです。やはり、4日から1日半、寝込んでいたことが響きました。年賀状の返事も一部は、まだ出していません。年賀状をくださった方々、ごめんね!
年賀状から=772号
今年は先を見据えて、大幅に年賀状の枚数を減らしました。しかし、やはり例年以上に届き、その返信に追われました。元日だけでも30枚近く、返信を出しました。それでも印刷枚数が足りず、まだ全員に返事を出しきれていません。ごめんなさい。
その年賀状の文面を見て、友人2人が今春、定年退職であることを知りました。Aさんが退職の年であることは、2~3年前から承知していました。がしかし、BさんとCさんも定年とは驚きでした。Bさんとは、たまにメール交換もしていたのですが、そのようなことは全く書かれていなかったので、意外でした。そうか、大学での学年は違っていましたが、BさんもCさんもボクと同様に、浪人を経験していたのですね。Bさん、Cさん、失礼しました。
Dさんの年賀状にも、「3月退職」とありました。元職場の同僚で、北海道から出て来た人です。出身地を聞いてボクがすぐに反応したので、驚いていました。「チッキ」などという今や死語になった言葉を、職場内の雑談でしました。もちろん、周囲の同僚はポカンです。北海道出身者らしく(?)、カラオケでは「雪国」が十八番でした。ボクも時々歌いますが、そのときは彼を思い出します。
かれこれ10年ぐらい前でしょうか、肺がんの手術をされました。その後、職場復帰をされ、組合などでも分会長などをしていると噂で聞きました。ボクが退職の挨拶状を出したら、電話をかけてくれました。入院時には一度、お見舞いに伺いましたが、以来10年お会いしていません。
この人とは年賀状交換はしていませんが、Dさんが定年ならば、Eさんも確か今春、退職だと思います。Eさんはボクのクラスの副担任をしてもらったこともありましたが、現在は副社長さん。Dさん、Eさんとは同じ学年であったこともあり、楽しいお酒をよく飲みましたね。
Eさんを除く、AさんからDさんまでは皆、社会科。Cさんは県外ですが、残り3人は神奈川ですから、変な話ですが、その埋め合わせに新採用教員が…ということになるのでしょうか。全県でどれくらいの教員が退職するのかわかりませんが、相当たくさんの人たちが…。皆さん、お疲れ様でした。
その年賀状の文面を見て、友人2人が今春、定年退職であることを知りました。Aさんが退職の年であることは、2~3年前から承知していました。がしかし、BさんとCさんも定年とは驚きでした。Bさんとは、たまにメール交換もしていたのですが、そのようなことは全く書かれていなかったので、意外でした。そうか、大学での学年は違っていましたが、BさんもCさんもボクと同様に、浪人を経験していたのですね。Bさん、Cさん、失礼しました。
Dさんの年賀状にも、「3月退職」とありました。元職場の同僚で、北海道から出て来た人です。出身地を聞いてボクがすぐに反応したので、驚いていました。「チッキ」などという今や死語になった言葉を、職場内の雑談でしました。もちろん、周囲の同僚はポカンです。北海道出身者らしく(?)、カラオケでは「雪国」が十八番でした。ボクも時々歌いますが、そのときは彼を思い出します。
かれこれ10年ぐらい前でしょうか、肺がんの手術をされました。その後、職場復帰をされ、組合などでも分会長などをしていると噂で聞きました。ボクが退職の挨拶状を出したら、電話をかけてくれました。入院時には一度、お見舞いに伺いましたが、以来10年お会いしていません。
この人とは年賀状交換はしていませんが、Dさんが定年ならば、Eさんも確か今春、退職だと思います。Eさんはボクのクラスの副担任をしてもらったこともありましたが、現在は副社長さん。Dさん、Eさんとは同じ学年であったこともあり、楽しいお酒をよく飲みましたね。
Eさんを除く、AさんからDさんまでは皆、社会科。Cさんは県外ですが、残り3人は神奈川ですから、変な話ですが、その埋め合わせに新採用教員が…ということになるのでしょうか。全県でどれくらいの教員が退職するのかわかりませんが、相当たくさんの人たちが…。皆さん、お疲れ様でした。
2011年の重大ニュース(3)=771号
今回が重大ニュースの最終回です。
8.4年がかりの記録を刊行
退職後すぐの2007年4月から、フジダナ村で研究会の事務局(週に1日。2年目以降は月に2~3回)をやってきました。07年の秋以来取り組んで来たものを6月、ようやくの思いで刊行することができました。90ページ弱の冊子ですが、テープ起こしがうまく行かず、話し手には大変ご迷惑をかけたので、完成させることができ、ホッとしました。ほとんど注目されず、自己満足的になってしまいましたが、資料的な価値はあるのでは?と思っています。内心では、もう少し深めたい気持ちもありましたが、そうなるとますます発行が遠のくので、それは諦め、目下、次のプランを立案中です。
9.150枚の長大レポート
毎年、自身の実践や活動の記録をまとめてきましたが、それは果たせませんでした。ただし、資料紹介という形で、原稿用紙150枚分くらいのものをまとめることができました。とはいっても、そのうちの4分の3はインターネットを使って、「コピペ」したもので、オリジナルの文は残り4分の1。かなり短時間で仕上げたので、全く自信がありません。
10.1学年下の友人・知人を失う
すでにブログでも書いたとは思いますが、1学年下の47年生まれの人、2人が亡くなりました。1人は妻の友人で、もう1人は元職場の社長さん。早すぎる死、無念の死と言えるでしょう。合掌。
一方、多くの人と知り合いになり、ヒューマン・ネットワークがさらに拡大しました。卒業生との再会もありました。思いがけないことから、40年ぶりで電話やメールで繋がった人も何人かいました。
まだまだありそうですが、10項目挙がったので、ここでジ・エンドとしましょう。2012年はボクにとっては、老年場、違う少年場、いや正念場です。どんな事態が襲ってくるかわかりませんが、とりあえずこのブログが800号に、そして2万アクセスに到達させることが当面の目標です。「もしも…」に備えての身辺整理も急務ですが、なかなか進みませんね。
8.4年がかりの記録を刊行
退職後すぐの2007年4月から、フジダナ村で研究会の事務局(週に1日。2年目以降は月に2~3回)をやってきました。07年の秋以来取り組んで来たものを6月、ようやくの思いで刊行することができました。90ページ弱の冊子ですが、テープ起こしがうまく行かず、話し手には大変ご迷惑をかけたので、完成させることができ、ホッとしました。ほとんど注目されず、自己満足的になってしまいましたが、資料的な価値はあるのでは?と思っています。内心では、もう少し深めたい気持ちもありましたが、そうなるとますます発行が遠のくので、それは諦め、目下、次のプランを立案中です。
9.150枚の長大レポート
毎年、自身の実践や活動の記録をまとめてきましたが、それは果たせませんでした。ただし、資料紹介という形で、原稿用紙150枚分くらいのものをまとめることができました。とはいっても、そのうちの4分の3はインターネットを使って、「コピペ」したもので、オリジナルの文は残り4分の1。かなり短時間で仕上げたので、全く自信がありません。
10.1学年下の友人・知人を失う
すでにブログでも書いたとは思いますが、1学年下の47年生まれの人、2人が亡くなりました。1人は妻の友人で、もう1人は元職場の社長さん。早すぎる死、無念の死と言えるでしょう。合掌。
一方、多くの人と知り合いになり、ヒューマン・ネットワークがさらに拡大しました。卒業生との再会もありました。思いがけないことから、40年ぶりで電話やメールで繋がった人も何人かいました。
まだまだありそうですが、10項目挙がったので、ここでジ・エンドとしましょう。2012年はボクにとっては、老年場、違う少年場、いや正念場です。どんな事態が襲ってくるかわかりませんが、とりあえずこのブログが800号に、そして2万アクセスに到達させることが当面の目標です。「もしも…」に備えての身辺整理も急務ですが、なかなか進みませんね。
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平和をもとめて
by watachanpeace
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